やり取りが途切れる。
少し待って、結局そのまま終わる。
以前なら落ち込んでいたはずなのに、
最近は「まあ、そういうこともある」と受け流していませんか。
そのこと自体にどこか引っかかりを覚える人もいるかもしれません。
傷つかなくなったとも言えるし、期待しなくなっただけとも言えます。
ただ、気持ちが揺れなくなったことを本当に前向きな変化だと受け取っていいのでしょうか。
慣れたことで楽になった感覚と何かを失ったような感覚が同時に存在する。
その両立しない感じが、言葉にならない違和感として残ることがあります。
返信が途切れることは珍しい出来事ではない
誰かとやり取りしていくなかで、返信が来なくなること自体は特別な出来事ではありません。
忙しさや気分の変化など理由はいくつも考えられます。
だからこそ、多くの人は学習し、以下のような心理状態になる傾向にあります。
・期待しすぎない。
・深く受け取らない。
・最初から可能性を低く見積もる。
この適応は、ある意味合理的です。
毎回真剣に受け止めていたら気持ちがもたないため、慣れることは防衛でもあります。
同じ状況が何度も続けば、驚かないようにしたり深追いしないようにするなど
人は感情を調整する方法を身につけます。
しかし、その調整が長く続くと、反応しないことが当たり前になっていきます。
そこに気づいたときに違和感として表に出てくる人もいます。
慣れは強さなのか、それとも感覚の鈍化なのか
返信が来なくなっても平気に感じたり、気にしなくなった方はいませんか。
以前なら気になっていたはずのことが、今はほとんど引っかからない。
その変化を、前向きに受け止めている人もいると思います。
それを成長と呼ぶこともできます。
感情に振り回されなくなった、という見方もできるでしょう。
実際、以前より楽になったと感じる人もいます。
気持ちの消耗が減った、という実感があるかもしれません。
一方で、違和感を覚える人がいるのも事実です。
気にしなくなったのではなく、
感じないようにしているだけではないか
そんな問いが浮かぶからです。
楽になった感覚の裏側で何かを切り離している気がする場合もあります。
本来、期待があれば反応があり、関心があれば落差も生まれます。
何も感じない状態が続くとき、
それは強さというよりも感覚を下げてバランスを取っている状態とも考えられます。
返信を待たなくなった代わりに失われたもの
返信を待たなくなると、楽になります。
画面を何度も確認しなくていい。
一喜一憂もしなくていい。
その一方で、
やり取りに対する手応えや期待も、
少しずつ薄れていきます。
返事が来ても来なくても同じ。
続いても、続かなくても同じ。
この状態は安定して見えますが、
同時に関わる意味が見えにくくなることもあります。
自分が何を求めてやり取りしているのかが分かりにくくなるからです。
楽しさや緊張感が減る代わりに、判断もしづらくなっていきます。
続けたいのか、やめたいのか。
自分の基準が、少し曖昧になります。
違和感が残るのは、まだ切り捨てていない証拠
返信が来なくなることに慣れてしまった。
それでも違和感が消えない。
この感覚は、弱さではありません。
むしろ、完全に諦めきっていない証拠でもあります。
もし本当に何も期待していなければ、違和感すら残らないはずだからです。
引っかかりがあるということは、
まだ関係性ややり取りに何らかの意味を見出そうとしている状態です。
慣れた反応と、本音との間に、小さなズレが生まれています。
慣れた自分を否定する必要はありません。
同時に、その慣れが自分を守っているのか、感覚を遠ざけているのかを
一度立ち止まって見直す余地はあります。
返信が来なくなることに慣れた自分への違和感は、
感情を切り捨てるか、向き合い直すかの分岐点に近いものです。
すぐに答えを出す必要はありません。
ただ、その違和感が示している方向に目を向けることで、
次の関わり方や距離感は、
少しずつ変えていくことができます。として受け取ることができます。


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